王の座を奪った世祖(セジョ)はどんな人生を歩んだのか

康熙奉(カン・ヒボン)著『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』(実業之日本社発行/2018年11月2日発売)

王への忠誠心を貫いた「死六臣」

首陽大君の参謀だった韓明澮(ハン・ミョンフェ)は、集まった高官たちを狭い門から入ってくるようにして、首陽大君に批判的な高官を見つけるとその場で殺害した。
これが、首陽大君が起こした「癸酉靖難(ケユジョンナン)」である。
結果、自分の身の危険を感じた端宗は、叔父に王の座を譲った。こうして首陽大君は、1455年に7代王・世祖として即位したのである。
しかし、甥から王を奪った世祖に批判的な態度をとる者がいなくなったわけではない。その中心となったのが成三問(ソン・サムムン)である。




彼を始めとする端宗に忠誠を誓っていた6人は、端宗を復位させるためにクーデターを計画したのだが、事前に情報が漏れてしまった。
クーデターの失敗により捕らえられた成三問たちだが、優秀な人材を失うわけにいかないと思った世祖は、彼らに自分を王と認めるように迫った。
しかし、端宗への忠誠心が強かった成三問たちは、決して世祖を王とは認めず罵倒を浴びせた。それに激怒した世祖によって成三問たちは処刑された。
最後まで端宗への忠誠心を貫き通した彼らは、後に多くの人から高い評価を受けて「死六臣(サユクシン)」と呼ばれるようになった。
一方の世祖は、クーデターが起きたことによって、また端宗の復位を狙う者が現れるかもしれないと思った。その結果、1457年に端宗を流罪にしたうえで殺害した。
(ページ3に続く)

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