チマ岩の伝説のヒロイン端敬(タンギョン)王后!朝鮮王朝王妃側室物語9

 

10代王・燕山君(ヨンサングン)の暴政は、臣下たちのクーデターで終結した。彼の後を継いだのは異母弟の11代王・中宗(チュンジョン)。自分の意思とは関係なく臣下のみこしに乗って王になった彼は、強引な政策を続ける側近に異論を言えなかった(端敬王后については、韓国時代劇の史実とフィクションの違いを解説した康熙奉〔カン・ヒボン〕著・実業之日本社発行の『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』で紹介しています)。




臣下に屈した王

中宗には端敬(タンギョン)王后(1487年~1557年)という妻がいた。2人は周囲がうらやむほど仲睦まじい夫婦だったが、臣下たちは2人を別れさせようとした。端敬王后の父が燕山君の側近だったため、後年の復讐を恐れての行動だった。
臣下たちの強要を受け入れてきた中宗だが、この一件だけは認めるわけにいかなかった。中宗は愛する妻を守るために、臣下たちと徹底的に話し合った。しかし、最後には中宗が屈してしまう。中宗の決断は、端敬王后を殺すべきだという過激な発言を抑えるために仕方がないことだった。
端敬王后は王妃から庶民へ格下げされた後、宮中を追い出された。




中宗は彼女が去ると、2人の王妃と9人の側室を迎え、9男11女の子供を授かった。しかし、中宗にとって端敬王后を失った悲しみは大きかった……。
中宗は彼女が恋しくなると、王宮の一番高い場所まで足を運び、彼女の住まいの方向をじっと眺めて気持ちを落ち着かせるようになった。
(ページ2に続く)

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