張禧嬪(チャン・ヒビン)の正体!謎多き魔性の女

興味津々な人物像

張禧嬪は、世間が言うほど本当に悪女だったのか。
そのように疑問に思うのは、張禧嬪に関する世間の評判が「朝鮮王朝実録」の記述のみに依っているからだ。ここで、その記述の背景を見てみよう。
粛宗は在位が46年間に及んだので、実録をまとめる作業に大変な時間がかかった。しかも、次の王となった景宗(キョンジョン/張禧嬪の息子)が在位4年で世を去ったために、その作業は英祖(ヨンジョ)に引き継がれた。




それを機に編集責任者が交代し、実務担当者は英祖の息がかかった者ばかりになった。英祖は淑嬪・崔氏の息子であり、その母は張禧嬪と対立していた。こうした経緯もあって、「朝鮮王朝実録」の編集作業は張禧嬪に不利な形になってしまったのだ。
張禧嬪は果たして、悪女だったのか。
あるいは、人物像を歪められただけなのか。
彼女の正体は謎だらけだ。それがかえって興味津々な人物像となり、韓国時代劇に何度も登場するほどのキャラクターになった。
いずれにしても、一介の女官から王妃になり、その王妃から転落して最後に死罪となる人生は、ドラマにふさわしいほどに波瀾万丈だった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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