尹元衡(ユン・ウォニョン)の人生はどのように転んでいったのか

尹元衡の没落

仁宗の後を継いで、文定王后の息子が13代王・明宗(ミョンジョン)となったが、彼はまだ11歳と幼かった。
そんな息子の代わりに、王族の最長老女性として代理聴政(テリチョンジョン)を行なった文定王后は、自分の一族の者たちを要職に就けていった。
姉のおかげで強い権力を得ることができた尹元衡は、自分と敵対する者たちを次々と排除していった。
それにより、誰にも尹元衡の暴政を止められなくなってしまい、彼の行なう政治はひどくなる一方だった。
多くの人が尹元衡を恨んだのは間違いない。しかし、そんな尹元衡の暴政はいつまでも続かなかった。




彼の後ろ盾となっていた姉の文定王后が、1565年に世を去ってしまったのである。それにより、尹元衡が今まで行なってきた悪事が次々と明らかになった。
結果的に、尹元衡は鄭蘭貞と一緒に逃げざるを得なくなり、最後は2人とも別々に自らの命を絶ってしまった。
結局、尹元衡の人生には主体性がなかった。姉のおかげで権力を握り、姉の死で没落した。彼にもう少し人徳があったならば、姉の死後も王宮に残ることができたであろうに……。
自らの悪で命を落とした典型的な人物が、尹元衡だった。

文=康 大地(コウ ダイチ)

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