〔特集〕もしかして医女のチャングム(長今)は何人もいた?

チャングム複数説

さらには、「長今」の名前に「大」がついて、「大長今(テジャングム)」と尊称されるようになった。
この「大長今」というのが、ドラマ『宮廷女官 チャングムの誓い』の韓国での原題となっていた。
チャングムの名前が「朝鮮王朝実録」で最後に出てくるのは、1544年10月29日である。
それは、チャングムの名前が初めて「朝鮮王朝実録」に出てから29年目のことだった。これほど長きにわたってチャングムが「朝鮮王朝実録」に登場する。しかも、王族のそばで医女として仕えている。




平均寿命が短かった時代なのに、29年間も第一線で活躍するということが、果たして可能だったのか。
しかも、チャングムは王妃が亡くなったときに処罰の対象者になっていたのに……。
そこで、次のような推察も成り立つ。チャングムというのは当時の医女の役職に使われた名であって、実は複数の人物が存在したのではないか、と。
そう考えれば、「29年間」という疑問も解ける。
果たして、チャングムは1人だったのか。
あるいは、複数いたのか。
さらに詳しい歴史記録があれば、事実が解明されていくのだが……。

記事提供:「歴史カン・ヒボン」http://kanhibon.com/

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