「朝鮮王朝三大悪女」の中で誰が一番の悪女か?

自らの悪行に復讐された

結局、鄭蘭貞は敬嬪・朴氏を陥れることに成功し、文定王后の手先になることができた。こうして彼女は、王宮内で我がもの顔にふるまうようになった。
ついには、尹元衡と共謀して彼の妻を毒殺し、その後釜にすわった。念願だった尹元衡の正妻となった彼女は、従一品の品階を授与された。
この品階をもつと、「貞敬(チョンギョン)夫人」と尊称されるのだが、そう呼ばれる気分は最高だった。
最下層から最上位まで上がったとはいえ、それは文定王后に引き立てられた結果だった。その後ろ楯が1565年に世を去ると、尹元衡夫婦も無事ではいられなかった。なにしろ、2人を憎む人たちが王宮には多かった。
夫婦は都を追われ、田舎で息をひそめて暮らした。
あるとき、近所に都から使者がやってきたという話を聞き、鄭蘭貞は「自分たちを殺しにきたのだ」と観念した。悲観した彼女は毒薬を呑んで命を絶った。その後、尹元衡も自決した。
いわば、鄭蘭貞は自らの悪行に復讐されたようなものだ。




あまりに多くの悪事に手を染めたことが自分でも恐ろしくなり、もはや生きていくすべを失ってしまったのだ。
最後に張禧嬪(チャン・ヒビン)について。
張禧嬪は1980年頃に女官として王宮に入ってきた。
美しい容姿を19代王・粛宗(スクチョン)が見逃すはずがなかった。粛宗はすぐに張禧嬪を寵愛するようになった。
当時、粛宗の正室は仁顕(イニョン)王后だった。1667年生まれの彼女は1681年に14歳で粛宗の正妻となっていた。
1659年生まれの張禧嬪よりは8歳下である。
仁顕王后に早く子供ができていれば、王妃としての立場は磐石だったと思われるが、あいにく彼女は病弱で、床に伏す日が多かった。結局、粛宗は張禧嬪のもとに入り浸(びた)りとなった。
(ページ4に続く)

文定王后(ムンジョンワンフ)は朝鮮王朝三大悪女よりもっとワルだった!

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