朝鮮王朝の後期になぜ王の子供が減ったのか

名君は子だくさん

なぜ朝鮮王朝時代の後期に王の子供が減ったのか。直接的な理由は、側室が減ったことが影響したと思われる。
実際、朝鮮王朝の前期には王が10人ほどの側室を持つのが当たり前とされた。王家の後継者を増やすために、王が多くの側室を抱えることが奨励されたのである。




その結果、政治的な業績にすぐれた王にかぎって子供の数がとても多いという現象が起きた。
たとえば、3代王・太宗(テジョン)は29人、4代王・世宗(セジョン)は22人、9代王・成宗(ソンジョン)は28人という子供をもうけていた。名君の一家は、どこも大変な子だくさんだったのである。(ページ3に続く)

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